政枝敏朗もの語り~ANG創業期を支えた名脇役~

ANGとの出会い

大城社長との出会いは、3年半前です。当時、福岡シティ銀行(現:西日本シティ銀行)の常務取締役北九州本部長をしていた後輩が、紹介してくれました。その後輩は私より一つ下なんですけれども、とても親しく付き合っていました。それこそ、パンツの中まで見せ合ったような仲と言いましょうか(笑)。

「ダイワライフという不動産会社の経営者で、創業者の支援団体を立ち上げたいというおもしろい人がいる」と聞いて、最初は先入観を持っていました。世の中にそんな奇特な人とか集団はないだろうと……。今になって思うのは、自分に度量がなかった、器が小さかったということですね。まったく情けないことです。

資金援助というと打算があったり、お金にまつわる話にはいろんな人が集まってくるじゃないですか。でも、お会いして話を聞いてみると、大城社長は全然違うんですよ。汚い部分がないんです。これは本物なんだと思いました。

私は宅建と行政書士の資格を持っています。世の中の困っている人を助けてやれたらいいなぁという想いがあって、行政書士は50歳を過ぎてから取りました。法律の問題で困っている弱者の役に立ちたいと考えていたときに、ちょうど大城社長とご縁いただきました。

銀行員から建設会社の社長に

私は以前、福岡相互銀行(現:西日本シティ銀行)に勤めていました。34歳のときに、ある建設会社に請われて、銀行から出向をしました。

実家が材木業をしておりまして、そのころは弟が家業を手伝っていました。親父から継いでほしいという話もありましたが、私としては兄弟二人でするよりも側面から支えたほうがよいと思ったんです。資材を実家から仕入れれば、間接的に家業を応援することにもなるだろうと考えて、建設会社に行く決断をしました。

私が入ったころは建設業が非常に厳しい状況でしたが、売り上げを3倍くらいに伸ばしました。社員と一緒に仕事をするなかで、「自分が辞めるのは簡単だけど、社員を見捨てて転職するなんてことは、男として許せない」と思うようになりました。私に子どもがいないこともあって、社員が子どもというような気持ちがありましたね。

入社して10年後くらいに、社長を引き受けることになりました。イチかバチか会社が助かればいいし、そうでなくても社員は救ってやろうという想いでした。

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